芸名の由来は故・三波春夫さんの浪曲師時代の芸名「南条文若」から。若いころ、ある大会で審査員から「君は三波先生の浪曲師時代の声に似ている」と評されたことがきっかけだった。
鉄道の仕事は退職し、今は浪曲をベースにしながら演歌を歌う「浪曲演歌師」として関西一円で活動。「義理と人情という日本の心を重んじて歌を歌っている」。地域のイベントへの出演や個人でリサイタルなども開いている。
2011 年、河内音頭で知られる東大阪市の歌手生駒一さんを訪ね、意気投合。生駒さんが曲を提供し、自身初となるオリジナル曲のCD「おとこ道/俺ら浪曲渡り鳥」 を出し「俺(おい)ら浪曲渡り鳥」は納得の作品。「浪曲好きの人から最高の出来栄え、宝物のような作品と評価していただいている。作曲していただいた生駒 一先生をはじめ、いろんな方と出会えて感謝している」。「渡り鳥」の歌詞は「私の人生そのもの」と笑う。
「歌」中心の活動だが、夢は「本格的な浪曲を多くの人の前で披露したい」と言う。「発表の場が少なくなっているのが残念。自分の歌を入り口にして奥深い世界を一人でも多くの方に知ってもらいたい」と意欲を燃やしている。
2013年6月いっぱいで閉鎖される大阪・新世界の通天閣歌謡劇場に、昨年3月から神戸市北区の浪曲演歌師南条敏若さんが出演。